こんばんは、橋本です。
東北の旅の後編を綴っていきますよ~!
2月19日には中井と別れ、
喜多と合流して、二人で東北の旅を続けました。
2月20、21日は予定が詰まりきっていなかったのですが、
ぶっつけ本番ながら非常に濃い旅となりました。
まずは20日。
朝は石巻市にある「ヤフー石巻復興ベース」へ。
復興支援事業に取り組んでおられるこのオフィスには
誰でもやってきて仕事ができるオープンスペースがあり、
とっても居心地の良い空間が広がっていました。
私たちは、yahoo!の職員さんから
東北おすすめの場所をたくさん教えていただきましたよ♪
「ヤフー石巻復興ベース」に関してはこちら→
http://blogs.yahoo.co.jp/yj_pr_blog/23189532.html
おすすめしていただいてやってきたのはここ、
蛤浜にある「はまぐり堂」。
小さな集落が津波の被害に遭い、残ったのはたった三世帯。
地元の方々が協力して、残った民家を改装して創られたカフェだそう。
おばあちゃんのお家に遊びに来たような落ち着く空間で、
優しい味のランチをいただきました。
はまぐり堂のhpはこちら→
http://hamagurihama.com/cafe/
はまぐり堂を出て、「女川病院」へ。
ここは、18日に三陸工房の斉藤さんに連れてきてもらった場所でした。
喜多は来ていなかったので、もう一度この場所へ。
女川病院は標高16メートルの高さにありますが、
震災時は病院1階の高さまで津波が襲ってきたそうです。
これは病院の駐車場から撮った写真。
ここまで波が来ていたと聞いてもピンときませんでした。
鉄筋コンクリートの建物が横に倒れています。
この景色を見て、ただただ呆然としていました。
心を落ち着かせて、
三陸工房の斉藤さんの屋台へ。
宮城県の大崎市にある「バリューザホテル」の駐車場で
12月から屋台で食品販売を始められたとのこと。
始めてまもなくして三陸工房ファンができたそうです。さすが!
こちらは穴子丼。ほっかほか!
特性のたれと柔らかい穴子の相性は抜群です。
看板娘の喜多(笑) お客さんを呼び込んでいました。
次から次へと「ほれ、食べてみい」とごちそうしてくださる斉藤さん。
「うめえだろ」とにっこり。
おいしくて、うれしくて。
このおいしさをたくさんの方に広めたいと、
改めてINTI RAYMIの仕事をがんばろうと気を引き締めたのでした。
この後、斉藤さんのお家へお邪魔し、
斉藤さんのごちそうとおいしい日本酒をいただきながら
ゆっくりお話をしました。
遠慮なくお酒をいただいた橋本は、
飲み友達に認定していただきました(笑)
ごちそうさまでした。
・・・・・・・・・
21日
午前中は石巻を散策。
「みんなのとしょかん」
「みんなのとしょかん」 プロジェクトは、被災した地域などに図書館を設置する活動だそう。
ちょこっと立ち読みしてきましたよ。
「みんなの図書館」について
詳しくはこちら→
http://www.mintosho.org/about
石巻復興マルシェの「石巻うまいもん屋」
東北と言えば海の幸!
豪華すぎる海鮮丼。
その名の通り「うまい」!!
東北に来たらぜひ海鮮丼を食べてくださいね。
「石巻市子どもセンター」
先月オープンしたばかりの子どもセンター。
地元の子どもたちやご家族が集って、ゆったりとすごされていました。透明感のある木製の建物は、子どもたちが意見を出し合ってかたちになったそう。
子ども中心の「子どもセンター」。
子どもたちの施設の理想のかたちだと思います。
午後は車を走らせて仙台へ。
「みんなのとしょかん」に置いてあった「復興応援手作り商品カタログ」を
偶然手にとって、仙台市の仮設住宅を訪れました。
仮設住宅で暮らしている方々が一つひとつ、
丁寧にカードケースやブックカバーなどを手作りされています。
売り上げは、製作者の方々に渡る他、
仮設住宅の集会所の運営費に使われるそうです。
私は初めて知ったのですが、仙台市は七夕が有名だそうで、
七夕で使われた短冊を丁寧にリメイクして作られた商品もありました。
それぞれ模様がとても綺麗です。
私は模様に一目惚れしてカードケースを購入したのですが、
見た目だけでなく、
名刺が折れないように芯が入っているというすぐれものでした。
明日からカバンに入れて持ち歩きたいと思います。
「復興の商品だから、かわいそうだからっていう理由で買ってほしくない」
商品を売ってくださった方は、そうおっしゃいました。
だからこそ、使い手の立場に立って、
丁寧に丁寧に、作り上げるのだそうです。
私も丁寧に、大切に扱おうと思いました。
東北の方々とお話していて何度も会話に出てきたのは、
「復興という言葉では、やっていけなくなってきた」ということです。
震災から3年近く経ち、被災地のことを
ニュースで報道されることが少なくなりました。
現地に足を運ぶと、
がれきが撤去されただけの更地が広がっていたり、
たくさんの仮設住宅が並んでいる風景があります。
「手を動かしていないと今でも悲しくなる」という声も聞きました。
報道がほとんどされなくなった今でも、
まだまだ解決していないのです。
解決なんてないのかもしれません。
東北の至るところに「がんばろう東北」というスローガンが残っていました。
今もなお「がんばる」べきなのでしょうか。
「がんばろう」という言葉は、
がんばり続けている人や、がんばれない人にとって
ときに重たすぎる言葉ではないかと感じます。
今大切なのは「つながること」ではないかと、私は思うのです。
「つながろう日本」
そんな言葉があふれたら素敵ではないかと。
東北に行ってみる、東北のものを買う。
知ったことやものを周りの人に伝える・・・
さまざまな繋がり方があります。
INTI RAYMIが東北と繋がるきっかけになれば、
これほど嬉しいことはありません。